府中基地勤務時代(平成26年8月~平成27年12月)の思い出
私にとって、はじめての航空支援集団隷下での勤務であり、加えて同集団が創立から四半世紀経った節目の年でもありました。
横田基地分と同様に、やはり当時添付していた写真を見つけることができませんでした。
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私にとって小牧基地は数多く訪問した基地の一つです。特に、平成15年から20年までの間、イラク特措法(イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法)に基づくクウェート派遣部隊の出国・帰国の各行事に参加するため、幾度か往来しました。
当時、私は空幕運用課に勤務、派遣部隊の隊務運営状況を調査のため現地入りした経験もあります。現地アリ・アル・サレム基地におけるC-130(差出元は、第1輸送航空隊)の運用を中心とした派遣任務にすべての隊員がひたむきに取り組む姿勢に心を打たれた感がありました。
直近の同基地訪問については、昨年末、前職においてフィリピン国際緊急援助活動の終了に伴い、同派遣部隊の出迎え行事において航空幕僚長の名代で帰国歓迎の辞を述べた時になります。
この基地には、先に述べた第1輸送航空隊のほか、小牧管制隊、小牧気象隊、航空機動衛生隊の3個隊が所在しています。
中でも、航空機動衛生隊に関しては、平成18年に新編。これまで、臓器移植や高度小児医療など、限られた専門医療機関での緊急対応を必要とする患者の搬送実績については、合計13件を数えます。私の就任後でも、すでに2件の任務遂行からすれば、今後一層業務上は多忙になることが予想されます。引き続き、任務の完遂を望みます。

現職に赴任してから1カ月半が経過。司令部の幕僚及び隷下部隊のおかげで、遣り甲斐を持って隊務運営に取り組むことができています。ようやく、解決すべき当集団の現下及び将来の課題が見えてきたというところでしょうか。
今週初め、統幕学校特別課程入校中の学生24名が来基。現場部隊の研修という貴重な時間の一部をいただき、「統合にかかわる過去、現在、将来」という題目で、統合に関する私の業務経験、支援集団司令官としての統合及び共同に関する課題認識、そして将来における統合の充実・強化を図るうえで支援集団が目指す将来像について、話をさせていただきました。
実は、私は統幕学校の入校、統幕勤務いずれも経験が無いので、学生の履修内容にどれほど参考になったかは少し不安がありますが…。
こうした機会に、私がよく引き合いに出す話があります。米軍との防衛交流を通じて、統合の意義、必要性を強く意識した出来事についてです。
もう10年以上前のことです。空幕勤務時代に上司の米国出張に随行して米軍の統合司令部を訪問。この際、米軍指揮官が次のことを話してくれたことが今でも忘れられません。米軍は1990年代、予算及び人的制約から統合路線を追求せざるを得ず、4軍種が制服の色にこだわることなく共通(統合)の任務を遂行するのに、10年の歳月を要したとの内容で、統合体制に移行しようとしていた自衛隊に対するエールではなかったかと考えています。
その自衛隊も、統合運用体制に移行して8年以上が経過。すでに統合スピリッツが確立した感があり、被害日本大震災対応をはじめ多くの実績をこれまで残しています。決してこのことに満足することなく、統合運用体制のなお一層の充実を求めていかなければなりません。加えて、後方分野の統合化を早期に実現していくことも望まれます。
今回来基した学生諸官は、これまでの統合運用体制の推移をどのように見ているのでしょうか。また、今後の統合について、いかに貢献すべきと考えているのでしょうか。入校中に自らに大いに問うてもらいたいものです。
現下の情勢をみれば、統合が抱える課題、その解決策、さらにはその将来の体制づくりの方向性が、これから急速に明らかになっていくはずです。こうした中にあって、彼ら/彼女らが、統合運用及び統合後方の担い手、あるいは統合任務部隊編成時にその中核的存在として活躍することを心から期待します。

航空自衛隊の基地内には、飲酒できる施設・場所が定められています。通常、「基地クラブ」と呼んでいます。多くの基地では、民間業者への委託経営により、平日の限られた時間帯で運営されています。一方、一部の分屯基地では、周辺地域の生活環境(離島、遠隔地等)から、委託先が存在しない所もあります。
こうした基地クラブは、基地内で居住する隊員にとって飲酒を伴う憩いの場であり、基地内外の隊員同士や一般の方も交えた中での懇親会場として広く利用されています。
府中基地の「基地クラブ」が入っている施設にはいくつか特徴があります。現在使用している建物・日本庭園等は、戦後米軍が駐留していた時代に作られたものです。外観のみならず施設内の多くにその面影が今でも残っています。
特に、大ホールは最大200名(立席の場合)を収容できるほどです。基地クラブが提供する料理及びサービス共に満足していただけるはずですし、私にとっても着任早々から安心してリフレッシュできる場所となっています。
ただ、ひとつだけ残念な点は、予算的制約もあり近年、建物の老朽化が進んでいるところでしょうか。
昼食の時間帯での営業もあります。この場合の飲酒は不可となりますので、ご承知おきを。府中基地を訪問される際には、ぜひお立ち寄りいただき、他の基地クラブとは異なる風情を楽しんでいただきたいものです。

美保基地は、山陰地方に位置する航空作戦支援基地として、また南海トラフをはじめとする各種事態対応の拠点・基盤として、これから一層の注目を浴びる空自基地のひとつです。この基地には隷下部隊として、第3輸送航空隊、美保管制隊、美保気象隊の合計3個隊が所在します。
本年4月、前職・空幕副長として前防衛大臣による同基地視察に随行。その際には、特に開発中の大型輸送機C-2関連施設、完成間際の管制塔が印象的でした。
また西空司令官の職にあった昨年にも、移動警戒隊(本年3月に改編)の視察等の目的でこの基地を訪問しています。
支援集団司令官として着任する以前に、こうした経験を通じて、美保基地を取り巻く勤務及び生活の各環境をある程度、知り得ていたことについては幸いでした。
その一方、今回の視察では、先入観を持たず、あらたな視線で、支援集団司令官という立場で隷下の隊務運営状況を確認できました。中でも、地上輸送員による空中輸送のための事前の梱包要領(パレタライズ)や空中輸送員と連携した輸送機への物品搭載手順に関する展示では、空中輸送に馴染みのない私にとって現場感が得られ、任務遂行上の大きな資となりました。
この基地にも一般広報を担っている「基地資料館」があります。美保基地の戦前からの歴史をたどることができる資料や、航空自衛隊のみならず旧海軍関係者から寄贈された貴重な展示品が整然と陳列されています。基地を訪れた折には、ぜひ立ち寄られてはいかがでしょうか。お薦めします。

私は、大宰府天満宮(福岡県太宰府市)から航空自衛隊の関係部隊等に対して寄贈いただいている神授梅にかなりのご縁があるようです。
千歳基地司令の職にあった当時、大宰府天満宮の「梅の親善使節団」により紅白一対の梅の盆栽を賜りました。これは、民間航空会社による福岡~千歳間の直通運航の開始を記念して、毎年1月下旬に北海道所在の官公庁等に梅が届けられているものです。その一環で千歳基地も対象となったようです。これが最初の縁です。
次に西空司令官勤務時です。西空司令部庁舎前には、国旗掲揚塔を挟んで向かい合うように紅白神授梅それぞれ一対が植樹されています。庁舎正面から掲揚塔に向かって左側に、「航空自衛隊創設50周年金(平成16年10月)」として、また右側には「西部航空方面隊創設50周年記念(平成22年3月)」があり、春を迎える時期にはそれらの芳香を楽しむことができます。
そして、この支援集団司令部庁舎前にも、新庁舎竣工記念の一環として神授梅が植樹(平成14年2月)されていました。昨年春には、立て看板を更新した上でその除幕式を行うなど、今でも丁重に管理させていただいています。
先日、西部航空方面隊勤務時に隊務運営上のご支援ご協力をいただいた福岡防衛協会女性部会の濱田会長をはじめ会員の方々が府中基地を来訪。当該会員バッジには大宰府の梅が描かれていることもあり、これを機に今回の内容を紹介した次第です。来春の開花が待ち遠しいです。

10月26日(日)、第7回航空観閲式(目的等については下記を参照)が茨城県・百里基地において、観閲官に自衛隊の最高指揮官である安倍内閣総理大臣をお迎えして挙行されました。天候にも恵まれ、成功を収め無事終了しました。
当日の様子については、各種報道、空幕及び関係基地等のホームページをご覧になっていただくことにして、ここでは航空観閲式を準備段階から百里基地で臨時勤務しながら、陰で支えた多くの隊員にスポットをあててみました。
従来、百里基地には基地司令以下約1,600名の隊員が勤務しています。航空観閲式の準備及び実施にあたっては、さらに接遇、警備、輸送、会場設営、広報等の任を担う他基地等からの支援要員を毎回必要とします。
今回は、長期の者で4カ月を超える期間、全国各地の基地等から総勢約2,000名の支援要員が当該基地内で居住しながら任務に当たりました。このうち、当支援集団からは300名を超える隊員を派遣。彼ら/彼女らも、本来の任務とはかかわりなく航空観閲式のために各々に付与された役割を果たしてくれました。
私自身は、この式関連では統一訓練、予行、そして本番と三度百里基地を訪問。関心どころは、観閲式そのものの成功はもとより百里所在各部隊による任務遂行、他基地等から派遣された支援隊員の活躍ぶりにありました。結果、期待にみごとに応えてくれたことに対してあらためて称賛します。
本番当日、百里基地で勤務する全隊員の顔から、笑みと共に自らがこの一大イベントを必ず成功させるのだという意気込みが感じられたのが特に印象的でした。
撤収作業後に行われたであろう慰労会等は、さぞかし盛り上がったことでしょう。
心身のリフレッシュが図れたならば、百里基地での貴重な体験を活かし、これから始まる演習・訓練に、そして活気溢れる隊務運営に積極的に取り組んでいきましょう。
(参考)「当日配布されたパンフレットの記載内容から一部抜粋」
航空観閲式は、自衛隊記念日記念行事の儀式として、陸上自衛隊及び海上自衛隊の協力の下、航空自衛隊の総力を挙げて実施するものであり、世界各国に例を見ない、我が国独自の式典です。
その目的は、内閣総理大臣(観閲官)の観閲を受けることにより、隊員の使命の自覚及び士気の高揚を図るとともに、航空防衛力の主力を展示し、自衛隊に対する国民の理解と信頼を深めるというものです。
1954年(昭和29年)7月1日に、防衛庁(当時)が設置され、保安隊及び海上警備隊がそれぞれ陸上自衛隊及び海上自衛隊となるとともに、航空自衛隊が新たに創設されました。今回の航空観閲式は、防衛省自衛隊が創設されてから60周年の節目の年に実施される記念すべき式典となります。

私が千歳基地司令の職に付くために千歳空港に到着したのは、7年前の9月11日夕刻。この日は、基地に隣接する千歳神社の秋季例大祭・宵宮祭にあたり、参道および周辺が屋台や多くの人出で賑わっていました。この3日後に次のような所信(一部抜粋)を朝礼で述べています。
『…近年、自衛隊の任務拡充に伴って業務量は確実に増えてきています。その一方で自衛隊員の数や防衛予算は削減の傾向にあります。こうした私達を取り巻く環境の変化に対して、…隊員個々の能力を向上させるとともに、組織全体で業務の効率化を図らなければなりません。…その効率化は思い切ったものでなければならないのだと思います。「自ら次第で個人は変えられる。私達次第で組織は変わる」を掛け声に、まずは私自身が業務処理の考え方や要領の見直しを通じて、変わっていくべきでしょう。…』
この気持ちは、現職でも変わりません。こうして自分なりの指揮官像を振り返ってみると、2空団司令兼ねて千歳基地司令の補職のおかげで指揮及び業務遂行上の実践力を鍛えてもらったように思います。
この基地には隷下3個部隊(管制隊、気象隊、特別輸送航空隊)が所在しています。このうち、管制及び気象の両隊とのかかわりについては、先の司令官雑感(8月22日版)で紹介したとおりです。
また、特別航空輸送隊については、洞爺湖サミット支援業務の最終ステージを締めくくるべく、同隊が運用する特別輸送機に搭乗して羽田空港に向かう福田当時総理を、特輸隊の整備格納庫前で見送ったことがとても印象的で、大きな思い出です。
今回の特輸隊視察中に思い出したことをもう一つ。整備格納庫内の床面には、創隊20周年記念のロゴマークが所属隊員達の手によって描かれています。
私が千歳基地司令の時に同基地は創設50周年を迎え、その際も、隊員手作りの各種記念イベントを行いました。そのうちの一つが50周年記念ロゴです。今回は懐かしさが募る中での視察となりました。
百里基地の視察にあたり、私が入隊後、初めてこの基地に立ち入ったことを思い出してみました。関係の部隊記念誌等をみると、どうも昭和58年度総隊総合演習時のようです。当時、私は任官してまだ2年目の3等空尉。習志野に所在する第1高射隊・発射小隊付幹部として勤務していました。その総隊総演において同隊が運用していたナイキ・システム(ペトリオットの前装備)を用いて防空戦闘に参加するため、同基地に機動展開したものです。
諸器材の展開場所が基地内のどの辺りであったかまでは定かではありませんが、時期的には、簡易テントの中でも寒さに震えた記憶はないことから、10月初旬の季節的には恵まれた時ではなかったかと思われます。これも、若き時代の懐かしくも、良き想い出のひとつです。
現在、百里基地には、支援集団隷下の3個隊(管制隊、移動管制隊、気象隊)が所在。先月の航空観閲式においては、本来任務を遂行しながら、観閲地上部隊への人員、装備の差出支援等にあたり、大いに貢献した部隊でもあります。また、これら3個隊に共通しているのは、過去5年以上にわたり服務事故等の発生がないことです。
ちなみに、基地名の百里は地名から名付けられたとのこと。諸説ある中で、江戸時代に水戸藩主が下総国(千葉県)の九十九里海岸に対抗したとの説と、水戸からこの地を通り潮来まで延びていた百里街道から命名したとの説の二つが有力だそうです。詳しくは百里基地のホームページをご覧ください。


航空支援集団の隷下部隊は、総計92個隊です。所在地については、北海道(千歳基地)から沖縄(那覇基地)まで全国の空自基地及び分屯基地に分散展開しています。
そこで、集団のさらなる一体化、融和団結を目的に、新たな試みとして集団司令部が発行する「壁新聞」タイプの通信便りを先月中旬から始めました。
IT化が進み、最先端の防護技術に基づく装備品を保有する空自が、このご時世に壁新聞かと思われる方もいらっしゃるでしょう。
この試みの背景には、隊員による基地内でのネット端末使用が制約されていたり、同一基地以外の部隊活動については、なかなか知ることが困難であったり、通達類での回覧では、本来任務以外のこといなると周知することにやや時間がかかり過ぎたりするという現状があります。
そこで、写真や図、表などを主体とした壁新聞であれば、職場の事務所、食堂の出入り口、隊舎の玄関等に張り出しておくだけで、自然と目を向けてくれるのではと考えた次第です。
取り扱う話題については、賞賛、活気、笑顔等をテーマに現場で職務に励む隊員の明るい、真剣な顔を紹介しようというものです。
支援集団司令部の人事課が、全体の基本コンセプトや「空とも」というタイトル、そして編集・構成を最初に創ってくれました。それ以降、他の課等が積極的に目的・趣旨に合った話題を毎回提供してくれています。
近々、第5号が監理監察部署から発行される予定。将来的には司令部以外の現場部隊からも、『空とも』発信があることを期待しています。



12月第1週、雨降り雪舞う鳥取県の美保基地において教育訓練検閲を行いました。今回の検閲は、先人が積み重ねてきた伝統を継承してきた中にあって、第3輸送航空隊が部隊として、また隊員個人としての任務遂行能力を検閲団(司令部及び他基地の要員から構成)が評価等する場です。
受ける側の3輸空隊は、万全の準備と万端の態勢で検閲に臨み、本番においては、全ての隊員が受け身や後ろ向きにならず、明るく溌剌と実力を発揮してくれたものと確信しています。
一方、検閲を行う側の検閲団には事前に次のような訓示を行いました。『検閲は、「行う側」にとっても真剣勝負。受ける側の実力を見極めるために、「行う側」にも評価の誤り、進歩向上のための必要な事項の見逃しは決して許されない。このことを各人肝に銘じてもらいたい。』と。検閲団の真剣な思いは、評価等を通じて受ける側にも十分に伝わったのではないでしょうか。
今後は、検閲の結果を将来にわたる大きな自信として、あるいは速やかな改善のための教訓としてもらうとともに、決して検閲のためにだけの一時的な成果にすることなく、更なる任務遂行能力の向上に、3輸空隊の繁栄・発展に努めてもらうことを要望します。


去る12月6日(土)雪雲に覆われた小牧基地のエプロン上で、西アフリカ国際緊急援助空輸隊の見送り行事を行いました。休日にもかかわらず、基地所在隊員100数十名が参列。以下は、その際の訓示の内容です。
『我が国は、いよいよ西アフリカにおけるエボラ出血熱の感染拡大の防止に向けて、国際緊急援助活動を実施する。そして今日、諸官らがその国外運航の任を受け、2万着の個人防護服を本邦から約1万7千キロ彼方のガーナ共和国・コトカ国際空港まで空輸することになった。
KC-767を有する第404飛行隊は、その創設以来わずか5年。この間、パキスタン、フィリピンでの国際緊急援助活動、ハイチにおけるPKO、海賊対処行動等で、各種の国外任務運航を整斉と実施してきたところである。こうしたこれまでの実績、それに裏付けられた自信のもと、このたびの西アフリカ国際緊急援助空輸隊としての新たな統合任務をも完遂してくれるものと確信している。
本運航では、その任務を国際的意義等にかんがみ、第1輸送航空隊司令・野中将補を空輸隊長に任命した。ぜひ野中将補の厳正な指揮のもと、航空支援集団のモットーである「任務遂行 事故皆無」を果たし無事に帰国することを心より祈念し、出発にあたっての訓示とする。』



支援集団の直轄部隊のひとつに、飛行点検隊(入間基地)があります。同隊の基本任務は、飛行点検機による航空保安施設及び航空管制施設の運用状況の飛行点検に関する業務を行うことです。
この飛行点検の対象となる航空保安無線施設等には、ASR、PAR、ILS、TACAN、PAPI、TCOM等、多くの種類があり、航空機の安全な運航を支えています。飛行点検隊は、全国に点在する陸海空自衛隊の43基地等に設置されている165関連施設を担任しています。
先日、同隊のU125に同乗して定期飛行点検の状況を視察。このときには入間基地のTACAN、PARと小松基地のTCOMを実際に点検し、異常がないことを機上から確認しました。操縦者でない私自身、大きな安心感を得た次第です。
実は、千歳基地司令の時代にF15戦闘機の離発着が気になって仕方なく、飛行隊に足を運ぶことが何度もあったぐらいです。それが、今日の飛行点検隊の業務を通じて、こうした航空保安無線施設等の整備により、飛行安全の確保が図られていることが、よく理解できました。
空の安全を支えるために、飛行点検隊は今日もどこかの飛行場施設を点検しています。同隊の飛行安全を心から祈念しています。
【略語の解説】
ASR(Airport Surveillance Radar)
飛行場周辺の航空機の誘導等を行う地上レーダー
PAR(Precision Approach Radar)
航空機を滑走路のファイナルに無線で精密に誘導する施設
ILS(Instrument Landing System)
航空機を滑走路のファイナルに電波を使用して精密に誘導する施設
TACAN(Tactical Air Navigation)
航空機に方位又は距離情報を発信する施設
PAPI(Precision Approach Path Indicator)
滑走路のファイナルにおいて、航空機に適正な進入角度を示す器材
TCOM(Terminal Communications)
ターミナル通信施設(管制塔等の無線及びライトガン)

先日、千歳基地に赴き特別航空輸送隊が実施する空中輸送(特別輸送)幹部等課程の総合実習を視察する機会がありました。
この課程は、特別輸送機による要人空輸等の任務運航に従事する様々な隊員(幹部及び空曹士)を養成する教育コースのひとつです。政府専用機のCA(キャビンアテンダント)養成コースという表現が分かりやすいでしょうか。
当該隊員達は、従前、各輸送航空隊の空中輸送員であった者ばかりでなく、他特技者からも選抜されます。4か月以上に及ぶ教育機関の中で、客室業務及び緊急対処手順等に関する民間航空会社の委託教育を主体として座学・実習を経て、最終的には空自内の検定試験を受け合否を決定します。
今回の総合実習は、その検定の直前に実機を使用し、かつ模擬乗客を同乗させた上での最終的な練成の場です。実習中、課程学生が緊張から微妙に指先が震えるのが見て取れるのですが、同時に訓練成果の集大成を図ろうとする懸命さと熱意がうかがえました。
検定に合格した以降は、いついかなる時にもクルーとして任務に就かなくてはなりません。当面は、マニュアルを遵守した正確な行動、おもいやりの心と笑顔、そしてそもそも自衛官としての使命感をもって業務に邁進してもらうことを期待します。
この記事が掲載される頃には、「スマート&チャーミング」をモットーとする彼ら彼女らは任務運航を控えているかもしれません。

空自の「英語競技会」はリニューアルされ、階級や職域にかかわらず隊員の英語能力の底上げをねらいとして、今年度から5年間、毎年開催することになりました。
以前は、暗記主体型の個人発表による「英語弁論大会」として開催されていましたが、平成20年度大会を最後に一時中断。
その後、米国をはじめとする他国との共同訓練、防衛協力・交流が増加するといった実務・訓練における環境の変化を受け、新たな要領に基づく「英語競技会」を実施するに至ったものです。
支援集団内の事前の選抜競技会を12月中旬に実施。結果として、幹部及び准曹士の両部門共に、第1輸送航空隊(小牧)が優勝。
同隊は、年が明けて1月下旬、防府北基地において開催される空自大会に進出することになりました。支援集団の代表として参加する選手には、本番までのさらなる練度向上と空自大会での好成績を心から期待するところです。
気が早いとは思いますが、「優勝」獲得の暁には、その栄誉を永きにわたり称えるため、支援集団司令部の建物1階に監督・選手等、全員の集合写真を掲載する「勝利の軌跡」(仮称)なる大型掲示板を準備しています。Break a leg !

今年の御用始めは5日でした。風もなく穏やかな晴天に恵まれました。その日は 課業開始前の早朝から司令部主要メンバーと共に、府中市内の「大國魂神社」を拝 殿の上、飛行及び地上の各安全を祈願。
基地に戻った以降、今年最初の司令部行事として、「だるまの目入れ」を催し、 年男・年女である司令部勤務者にも墨入れしてもらいました。
その後、年明け最初の司令部主要メンバー会議を実施。その際、私からは司令部 勤務者を対象とした年頭の辞を伝え、御用始めの締めとしました。
‘ .
翌日からは、業務処理に専念するスタッフの姿がありました。今週は、若干の休 暇者がいますので、本格的に司令部機能を発揮するのは来週以降でしょう。
毎年4/四半期は、自衛隊・部隊等にあっては年度の任務に関連した各種練成の 集大成の時期。加えて、次年度の防衛諸許画等を作成する、いわゆる繁忙期に当た りますので、意識的にお正月気分を一掃し、本来業務に頭を切り替えでいくことに
なります。
1月7日、基地給食班が部隊食の朝食メニューの一環として、「七草粥」を提供 してくれました。おかげで、病気知らずの一年になるでしょう。もちろん新年会等 での暴飲暴食を厳に慎み、あくまでも通年健康管理に努めた上のことですが・・・。

新たな年を迎えての初の部隊視察は、浜松と松島両基地に所在する隷下部隊を選択。最近3年間、支援集団司令官が訪れることができなかった部隊を対象とした結果です。両基地には、他基地と同様に管制及び気象の各部隊が所在し、航空管制業務、航空気象観測・予報の適時適切な実施に努めています。
浜松基地は、私にとって術科学校学生という青春の時代と、新規装備品導入に伴う教官職という教育に専念した時代を送った極めて懐かしい場所。
最初は、昭和57年1月から13か月の間、幹部通信電子基礎課程及びナイキ整備幹部課程を履修する学生として高射幹部の基礎を習得。
2度目の浜松は、昭和62年11月から豊年半の聞、ペトリオット・システム導入に伴って、準備室要員から引き続き正規の同整備幹部課程の教官として勤務。当時、2術校は最新の装備への換装を控えていたこともあり、肩にかなり力が入っていた厳しい教官だったはずです。
―方、こうした高射幹部である私にとって、松島基地はあまり馴染みのない基地でした。平成23年3月までは。それまでは業務調整で何度かこの基地を訪れた経験があった程度でしたが、東日本大震災以降は、この基地への関与の仕方は一変。
当時、私は空幕装備部長の職にあったことから、被災した航空機をはじめとする各種の装備品・器材に対する再整備事業、さらには同基地所属隊員の負担軽減策等に深くかかわることになったことが思い出されました。
今回の視察におけるエピソードをひとつ。
浜松所在隊の視察を終えた後、管制隊の杉3尉が10枚ほどの写真を私に手渡してくれました。それらは、7年前の北海道洞爺湖サミットが終了した翌日あたりに、当時千歳基地司令の職にあった私が、国家行事の成功に貢献した管制官等を移動管制器材の設置場所へ赴き感謝と慰労の意を述べた時のものでした。
実は、私自身はこのことを失念していたのですが、当時1曹で三沢管制隊から千歳に支援勤務していた彼が、私の行動を覚えてくれていて、視察の機会にわざわざ伝えに来てくれたことに大いに感激した次第です。
本来、視察は指揮官にとって実地に部隊の隊務運営状況等を把握するための現場進出のひとつの方策です。私は、この出来事を通じて、指揮官は部下部隊からもしっかり視られているのだとあらためて認識できました。また、指揮においては、その時々の補職上の責任・義務を果たすことはもちろんのこと、配置先が変わろうとも、自らの信条に基づく“切れ目のない’’、一貫した指揮の姿勢を示し続けることが大切だとも実感。彼のおかげで、有意義な視察の時間を過ごすことができました。

今月20日、2 1日の両日、防府北基地(山口県)において空自の英語競技会が開催され、支援集団の代表である第1輸送航空隊チームが、全ての部門において見事な成果を収めてくれました。以下は、同隊の成績一覧です。
〇ブリーフィング競技(団体戦)
・幹部の部:優勝(空自編合部隊等から代表9チーム中)
・准曹士の部:準優勝(同上)
同大会のねらい、新たな要領、1輸空隊の選抜経緯については、既に司令官雑感『空自英語競技会に備えるべく(平成26年1 2月26日分)に掲載していますので、参考にしていただければ幸いです。
新たな年を迎え、心待ちにしていたこの朗報は、1輸空はもとより支援集団全体にとっても良好な隊務運営を行っていく上で、大きな“弾み”となるはずです。
昨年の段階から、気が急ぐ形で準備していた空自大会等での栄冠を掲示する大型掲示板「勝利の軌跡(仮称)」の設置が、ついに現実のものとなりました。
今大会終了後、満面の笑顔の監督及び選手等、出場した全隊員の写真を、司令部1階の壁面に掲げ、この度の彼ら/彼女らが獲得した栄冠を後々まで称えることとします。


今週、府中は温暖な気象に恵まれ、支援集団司令部庁舎前の『飛び梅』が開花。まさに春の先駆けです。
大宰府天満宮から寄贈いただき基地内に植樹した神授梅については、昨年10月の「司令官の雑感」で私の補職歴とのご縁と合わせて紹介しました。
最近では、府中市にも同市市政60周年の関係により、大宰府天満宮から梅の木が寄贈されたこと、また今週に入って同天満宮宮司及び座女による「梅の使節」を通じて安倍首相に紅白梅の盆栽が贈られたことの報道を耳にしていましたので、 司令部が維持管理に努める神授梅の開花を心待ちにしていたものです。
司令部に寄贈いただいてから12年が経過。例年の気候ですと、3月の上・中旬に満開を迎えるとのことです。しばらくの間は、高貴な梅の香りにつつまれながら、航空支援集団は国家の安泰に貢献していきます。

2月11日から27日の間、米国グアム島・アンダーセン基地においで日米豪共同演習が行われました。空自は、航空総隊が平成1 1年度から参加し始め、航空支援集団としては平成24年度からの参加、今年度で3回目となります。
今回の当集団の参加規模は、ほぼ例年どおりですが、人員約100名に、主要装備としてC-1 3 0及びKC-767各2機を派遣しました。
今年は、演習訓練の点で空自にとって大きな節目の年。空自が実動演習を開始した昭和31年から60年、また国内での日米共同訓練が始まった昭和60年から起算して30年と、それぞれ記念の年を迎えました。
こうした中、私自身、初めての国外における日米共同実動訓練を視察したものです。
今回の視察は、主要演練項目のうち、人道支援・災害救難活動(HADR)を主体に実質1日半の濃密なスケジュールを組み、実戦環境下における関連活動にかかわる現有能力を把握するとともに、各種かかえる課題の認識、将来における航空防衛力整備事業への反映の方向性等を見出すことができました。
当該訓練については、計画どおりであれば、本邦への撤収完了まで考えると来月中旬まで続きます。現在は訓練参加の半ば、緊張感が少しとれる時期でもあるでしょう。
今後とも、精神的にはゆとりを持ちつつもく健康に留意し、常に作戦体質を保持し、気を引締めて本演習・訓練に打ち込んでもらい、全員がそれぞれの装備品と共に無事に帰国・帰隊してくれることを心から祈念し帰国の途につきました。

3年前に支援集団が当該訓練に初めて参加した時のことを考えると、同訓練の参加実績において先行する航空総隊からの各種サポートがあったとはいえ、訓練の実施要領及び勤務のための各種環境整備等にあたっては、手探り状態の中で、きっと苦労したのではないでしょうか。
しかし、3年が経過した今、参加部隊の練度及び技能を実地に見てきた中では、同訓練は急速に充実期に移行しているとの実感がありました。と同時に、私は指揮官として、この機を失することなく、隊員及び装備の各種安全を確保しながらも、グアム訓練の編成、演習項目、実施要領等を見直し、隷下部隊の任務遂行能力を充実・発展させる方向に推し進めていかなければならないと強く考えた次第です。
こうした思いを持ちながら、現地での訓示においては、本演習参加の目的である日米豪の組織的対処能力、HADRにかかる米豪軍との相互運用性の向上、部隊・個人の戦術運用技量の向上に遭進することと、次回以降の同訓練の改善を図るために、以下の3点について各人が所見を日本に持ち帰るよう要望したところです。
1.グアム訓練の成果において、さらなる高みを目指すために、国内で日々行っている各種訓練の内容について、いかなる改善を図るべきか。
2.国内における各種訓練項目のうち、訓練効率や訓練成果の検証という観点で、グアム等における国外訓練にシフトできるものがあるのではないか。それは何なのか。
3. 訓練の発展性の観点からは、支援集団の任務遂行において、国内外の訓練において、未だ実施し得ていない訓練項目はないのだろうか。あるとすればどのような訓練の場を創り出すべきなのか。

私自身は、レッド・フラッグ・アラスカ、コープ・ノース・グアムに代表される国外における日米共同による実動訓練(FTX)には、これまで参加した経験がありませ
一方、国外での日米共同の指揮所訓練(CPX)という観点では、米軍では当時ブルーフラッグと呼称されていたCPXへの参加経験が一度だけあります。
同訓練の主な目的は、米空軍の航空作戦センターで勤務する要員に対する指揮所活動の要領を習得させることにあったように記憶しています。
過去における作戦結果の分析・評価、作戦現況の把握、将来における作戦遂行のための計画立案等、この時に知り得た一連の作戦推移の中での指揮幕僚活動は、司令官となった今も、指揮や幕僚指導の基礎となっており、まさに得難い体験でした。
米本土で実施された上記のCPXに参加したのは、もう20年以上も前のことです。現在も同一訓練名が残っているのか否かはわかりません。
あくまでも個人的な推察ですが、司令部等における効率的かつ円滑な指揮所活動に寄与する同種の訓練は、きっと存在し相当な進化を遂げているのではないでしょうか。可能ならば、ぜひとも今の立場で研修したいものです。
現在、グアムで訓練に勤しんでいる空自の隊員達は、訓練制約の極めて少ない中、早朝から夜間までの各種訓練を通じて、組織としての事態対処能力及び隊員個々の特技能力が日々向上していることを、身をもって実感しているはずです。
また、こうして培われた隊員の実力と自信が、実効性ある日米共同に寄与する大きな糧になるのです。
なお、帰国の直前にはアンダーセン基地から車で約20分のところに所在する「南太平洋戦没者慰霊碑」を訪れ、英霊に対する献花及び供養を支援集団の代表として行ってきたことを紹介して、このシリーズを終わります。















